人生の扉
素晴らしい
イエスは神を見つけるための鍵なので、イエスについてもっと知りましょう。主イエス・キリストは、人間の母親から生まれましたが、神をその生物学的な父とする、実にユニークな存在でした[1]。したがって、イエス・キリストは完全な神[2]であり、完全な人[3]でした。神は本質的に一つであり、同時に人格的に三つである。父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神は一つである[4]。
神は一つでありながら三位一体であることから、神は誰も神を見て生きることはできないと述べているが[5]、旧約聖書においても神の目に見える姿を見た人がいた[6]ことが説明できる。それは主イエス[7]であり、地上における父の代表であり、旧約の時代に主の天使として現れたのです。これは、私たちの頭で理解するのはかなり難しいと思われるかもしれません…しかし、主イエスの名前の一つが「すばらしい」[8]であることは、決して無意味ではありません!
はっきりさせておきますが、イエス・キリストは他の神ではなく、父なる神と一体です[9]。イエス・キリストは神の子であり[10]、父なる神の真の姿である[11]。
約束を果たすこと
主イエス・キリストは、旧約聖書のすべての預言を成就したイスラエルのメシアであり、今もそうである。彼はベツレヘムで生まれ[12]、ダビデの子である[13]。法的には、イエス・キリストは地上の非生物学的な父ヨセフの長男(ダビデ王の息子サロモによる王家の血筋[14])であり、したがってダビデ王の王位の正式な継承者である。生物学的には、イエスは母親の血筋(ダビデ王の息子ナタン[15]による)を通じて、ダビデ王の子孫でもある。ダニエル書は、メシアが「切り取られる」正確な瞬間を予言しており、その特定の時期にこれを適用できる人物は、イエス・キリストだけでした[16]。イエス・キリストは、彼が主張したメシア(ギリシャ語で「クリストス」)であった[17]。1世紀のローマ・ユダヤ人の歴史家フラウィウス・ヨセフスは、自分の歴史書の中でイエスがキリストであると正しく述べている[18]。さらに。イエス・キリストは、多くの病人を癒したことで、ご自身が何者であるかを証明した。3回、死んだ人を生き返らせたことさえある[19]。
純粋で正義の子羊
主のしもべであるイエス・キリストは、神に従う人生を歩むために地上に来られました[20]。神には特定の計画があり、それは旧約聖書ですでに明らかにされていました。人々の罪の赦しを得るために、御子である主イエス・キリストを犠牲にしようとされたのです[21]。罪のない義人だけがこれを行うことができました[22]。神は聖なる公正なお方ですから、先に説明したように、罪に対して目をつぶることはできません。罪のない、完全に無実で純粋な人間の犠牲と流血だけが、罪を赦す解決策となり得るのです[23]。必要な条件をすべて備えた唯一の人…それが主の独り子、主イエス・キリストでした。
イエス・キリストが十字架にかけられるまでは、人々の罪のためにエルサレムの神殿で子羊が犠牲にされていました[24]。罪のない唯一の人間であるイエスは、神の完璧な子羊でした[25]。十字架上での彼の犠牲は完璧で完全なものでした[26]。イエスは十字架上で死ぬときに血を流し、それによって彼を信じるすべての人々の罪の許しを得たのです[27]。
十字架の後、イエスは死んだままではなかった。3日後に死からよみがえりました[28]。今、イエス様は天国で神様の右手に住んでおられます[29]。彼はすべての人の生ける主であり、天と地のすべての権威を持っています[30]。
あなたの審判か、あなたの救世主か
イエス・キリストがこの地上に生きていた時代、イエス・キリストは確かにメシアであるにもかかわらず、拒絶され、一般には受け入れられませんでした。しかし、イエス・キリストは、自分を信じるすべての人を罪から救うために、自らの命を犠牲にして、苦難に満ちた主のしもべとして来られたのです。将来、イエス・キリストは、すべての人の目に見える形で再び来られます[31]。しかし、その時は、王の偉大な王、主の主として来られます[32]。そしていつの日か、すべての人がイエス・キリストが主であることを認めるようになります[33]。今、信じているかどうかにかかわらず、あなた自身もです。
今、イエス・キリストを知り、罪の赦しを受け、今も将来も愛すべき救い主、主として知ることができるようにしましょう。今も永遠に救い主として、あるいは将来の裁き主として、どのようにイエス・キリストを知ることができるかは、地上生活中のあなたの選択にかかっているからです[34]。
イエス・キリストがあなたのためにご自分の命を犠牲にされたのは、あなたを愛しておられるからです。このような大きな愛に、あなたはどのように応えますか?
[1]
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。マタイによる福音書 1:18 新共同訳
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」マタイによる福音書 1:20-21 新共同訳
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。ルカによる福音書 1:35 新共同訳
イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。マタイによる福音書 3:16-17 新共同訳
[2]
御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。コロサイの信徒への手紙 1:15 新共同訳
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。ヨハネによる福音書 1:1-3 新共同訳
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネによる福音書 1:14 新共同訳
わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」ヨハネによる福音書 16:28 新共同訳
神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、 この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。ヘブライ人への手紙 1:1-3 新共同訳
いったい神は、かつて天使のだれに、 「あなたはわたしの子、 わたしは今日、あなたを産んだ」 と言われ、更にまた、 「わたしは彼の父となり、 彼はわたしの子となる」 と言われたでしょうか。 更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、 「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」 と言われました。ヘブライ人への手紙 1:5-6 新共同訳
一方、御子に向かっては、こう言われました。 「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、 また、公正の笏が御国の笏である。 あなたは義を愛し、不法を憎んだ。 それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、 あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」 また、こうも言われています。 「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。 もろもろの天は、あなたの手の業である。 これらのものは、やがて滅びる。 だが、あなたはいつまでも生きている。 すべてのものは、衣のように古び廃れる。 あなたが外套のように巻くと、 これらのものは、衣のように変わってしまう。 しかし、あなたは変わることなく、 あなたの年は尽きることがない。」ヘブライ人への手紙 1:8-12 新共同訳
主の定められたところに従ってわたしは述べよう。 主はわたしに告げられた。 「お前はわたしの子 今日、わたしはお前を生んだ。詩編 2:7 新共同訳
あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。 この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。サムエル記下 7:12-14 新共同訳
神よ、あなたの王座は世々限りなく あなたの王権の笏は公平の笏。 神に従うことを愛し、逆らうことを憎むあなたに 神、あなたの神は油を注がれた 喜びの油を、あなたに結ばれた人々の前で。詩編 45:7-8 新共同訳
主の御目にわたしは重んじられている。 わたしの神こそ、わたしの力。 今や、主は言われる。 ヤコブを御もとに立ち帰らせ イスラエルを集めるために 母の胎にあったわたしを 御自分の僕として形づくられた主は こう言われる。 わたしはあなたを僕として ヤコブの諸部族を立ち上がらせ イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。 だがそれにもまして わたしはあなたを国々の光とし わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。イザヤ書 49:5-6 新共同訳
イスラエルを贖う聖なる神、主は 人に侮られ、国々に忌むべき者とされ 支配者らの僕とされた者に向かって、言われる。 王たちは見て立ち上がり、君侯はひれ伏す。 真実にいますイスラエルの聖なる神、主が あなたを選ばれたのを見て。イザヤ書 49:7 新共同訳
わが主に賜った主の御言葉。 「わたしの右の座に就くがよい。 わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」詩編 110:1 新共同訳
ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。 「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、 イエスは言われた。「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。 『主は、わたしの主にお告げになった。 「わたしの右の座に着きなさい、 わたしがあなたの敵を あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』 このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」 これにはだれ一人、ひと言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。マタイによる福音書 22:41-46 新共同訳
神は、かつて天使のだれに向かって、 「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、 わたしの右に座っていなさい」 と言われたことがあるでしょうか。ヘブライ人への手紙 1:13 新共同訳
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。 わたしが選び、喜び迎える者を。 彼の上にわたしの霊は置かれ 彼は国々の裁きを導き出す。イザヤ書 42:1 新共同訳
わたしの証人はあなたたち わたしが選んだわたしの僕だ、と主は言われる。 あなたたちはわたしを知り、信じ 理解するであろう わたしこそ主、わたしの前に神は造られず わたしの後にも存在しないことを。イザヤ書 43:10 新共同訳
夜の幻をなお見ていると、 見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り 「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み 権威、威光、王権を受けた。 諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え 彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。ダニエル書 7:13-14 新共同訳
畏れ敬って、主に仕え おののきつつ、喜び躍れ。 子に口づけせよ 主の憤りを招き、道を失うことのないように。 主の怒りはまたたくまに燃え上がる。詩編 2:11-12 新共同訳
イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。ヨハネによる福音書 14:9 新共同訳
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」ヨハネによる福音書 14:7 新共同訳
すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。マタイによる福音書 11:27 新共同訳
主は真理の神、命の神、永遠を支配する王。 その怒りに大地は震え その憤りに諸国の民は耐ええない。エレミヤ書 10:10 新共同訳
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。ヨハネによる福音書 14:6 新共同訳
わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。ヨハネの手紙一 5:20 新共同訳
しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。ガラテヤの信徒への手紙 4:4 新共同訳
[3]
しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。ガラテヤの信徒への手紙 4:4 新共同訳
御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、ローマの信徒への手紙 1:3 新共同訳
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネによる福音書 1:14 新共同訳
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。 その名はインマヌエルと呼ばれる。」 この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。マタイによる福音書 1:23 新共同訳
男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。マタイによる福音書 1:25 新共同訳
互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。フィリピの信徒への手紙 2:5-8 新共同訳
イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。ヨハネの手紙一 4:2 新共同訳
[4]
証しするのは三者で、ヨハネの手紙一 5:7 新共同訳
だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、マタイによる福音書 28:19 新共同訳
わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。ヨハネによる福音書 17:11 新共同訳
父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。ヨハネによる福音書 17:21 新共同訳
わたしと父とは一つである。」ヨハネによる福音書 10:30 新共同訳
それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。エフェソの信徒への手紙 2:18 新共同訳
それは、この人々が心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。 知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。コロサイの信徒への手紙 2:2-3 新共同訳
[5]
寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。出エジプト記 22:20 新共同訳
いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。ヨハネによる福音書 1:18 新共同訳
[6]
皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、創世記 32:24 新共同訳
「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。創世記 32:28-30 新共同訳
ヨシュアがエリコのそばにいたときのことである。彼が目を上げて、見ると、前方に抜き身の剣を手にした一人の男がこちらに向かって立っていた。ヨシュアが歩み寄って、「あなたは味方か、それとも敵か」と問いかけると、 彼は答えた。「いや。わたしは主の軍の将軍である。今、着いたところだ。」 ヨシュアは地にひれ伏して拝し、彼に、「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と言うと、 主の軍の将軍はヨシュアに言った。 「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」 ヨシュアはそのとおりにした。ヨシュア記 5:13-15 新共同訳
ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。ギデオンは言った。「ああ、主なる神よ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて主の御使いを見てしまいました。」士師記 6:22 新共同訳
[7]
御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。コロサイの信徒への手紙 1:15 新共同訳
キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、コロサイの信徒への手紙 2:9 新共同訳
[8]
そこでマノアは主の御使いに、「お名前は何とおっしゃいますか。お言葉のとおりになりましたなら、あなたをおもてなししたいのです」と言った。 主の御使いは、「なぜわたしの名を尋ねるのか。それは不思議と言う」と答えた。士師記 13:17-18 新共同訳
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。 ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。 権威が彼の肩にある。 その名は、「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と唱えられる。イザヤ書 9:5 新共同訳
[9]
わたしと父とは一つである。」ヨハネによる福音書 10:30 新共同訳
わたしのもとに近づいて、聞くがよい。 わたしは初めから、ひそかに語ったことはない。 事の起こるとき、わたしは常にそこにいる。 今、主である神はわたしを遣わし その霊を与えてくださった。イザヤ書 48:16 新共同訳
父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。ヨハネによる福音書 17:21 新共同訳
わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。ヨハネの手紙一 5:20 新共同訳
[10]
主の定められたところに従ってわたしは述べよう。 主はわたしに告げられた。 「お前はわたしの子 今日、わたしはお前を生んだ。詩編 2:7 新共同訳
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。マルコによる福音書 1:9-11 新共同訳
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」マルコによる福音書 9:7 新共同訳
あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」ヨハネによる福音書 6:69 新共同訳
[11]
神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、 この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。ヘブライ人への手紙 1:1-3 新共同訳
神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、 その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。コロサイの信徒への手紙 1:19-20 新共同訳
御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。コロサイの信徒への手紙 1:15 新共同訳
キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、コロサイの信徒への手紙 2:9 新共同訳
[12]
まことに、主は彼らを捨ておかれる 産婦が子を産むときまで。 そのとき、彼の兄弟の残りの者は イスラエルの子らのもとに帰って来る。ミカ書 5:2 新共同訳
[13]
見よ、このような日が来る、と主は言われる。 わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。 王は治め、栄え この国に正義と恵みの業を行う。 彼の代にユダは救われ イスラエルは安らかに住む。 彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。エレミヤ書 23:5-6 新共同訳
エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる。 知恵と識別の霊 思慮と勇気の霊 主を知り、畏れ敬う霊。イザヤ書 11:1-2 新共同訳
[14]
アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、 ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、 アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、 エッサイはダビデ王をもうけた。 ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、マタイによる福音書 1:1-6 新共同訳
[15]
イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、 マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、 マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、 マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、 ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、 メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、 ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、 シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、 メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、 エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、 アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、 カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、 メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、 エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。ルカによる福音書 3:23-38 新共同訳
わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。 その日、エルサレムにはメギド平野におけるハダド・リモンの嘆きのように大きな嘆きが起こる。 大地は嘆く。各氏族は各氏族だけで、ダビデの家の氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、ナタンの家の氏族はその氏族だけで、その女たちは女たちだけで、ゼカリヤ書 12:10-12 新共同訳
[16]
これを知り、目覚めよ。 エルサレム復興と再建についての 御言葉が出されてから 油注がれた君の到来まで 七週あり、また、六十二週あって 危機のうちに広場と堀は再建される。 その六十二週のあと油注がれた者は 不当に断たれ 都と聖所は 次に来る指導者の民によって荒らされる。 その終わりには洪水があり 終わりまで戦いが続き 荒廃は避けられない。ダニエル書 9:25-26 新共同訳
[17]
女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」ヨハネによる福音書 4:25-26 新共同訳
ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、 尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。マタイによる福音書 11:2-4 新共同訳
もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。 しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」ヨハネによる福音書 10:37-38 新共同訳
しかし、群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」と言った。ヨハネによる福音書 7:31 新共同訳
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。マタイによる福音書 16:16-17 新共同訳
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ヨハネによる福音書 13:13 新共同訳
イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」ヨハネによる福音書 8:58 新共同訳
父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。ヨハネによる福音書 6:46 新共同訳
イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。 彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。 イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。ヨハネによる福音書 18:4-6 新共同訳
しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。 イエスは言われた。「そうです。 あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、 天の雲に囲まれて来るのを見る。」マルコによる福音書 14:61-62 新共同訳
イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」 イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。 あなたたちはやがて、 人の子が全能の神の右に座り、 天の雲に乗って来るのを見る。」マタイによる福音書 26:63-64 新共同訳
そこで皆の者が、「では、お前は神の子か」と言うと、イエスは言われた。「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。」ルカによる福音書 22:70 新共同訳
そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」 そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。ルカによる福音書 23:2-3 新共同訳
[18]
[19]
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。マタイによる福音書 9:35 新共同訳
イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、マタイによる福音書 12:15 新共同訳
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。マタイによる福音書 14:14 新共同訳
大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。 群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した。マタイによる福音書 15:30-31 新共同訳
主のもとに送り、こう言わせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」 二人はイエスのもとに来て言った。「わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです。」 そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。 それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 わたしにつまずかない人は幸いである。」ルカによる福音書 7:19-23 新共同訳
それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。 そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。ルカによる福音書 7:11-15 新共同訳
イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」 イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。 イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。 すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされた。 娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになった。ルカによる福音書 8:49-56 新共同訳
ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。 このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。 姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。 イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」 イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。 ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。 それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」 弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」 イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。 しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」 こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」 弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。 イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。 そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。 わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」 すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。 ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。 マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。 マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。 マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。 しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」 マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。 マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。 イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。 家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。 マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。 イエスは涙を流された。 ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。 しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。 イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。 イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。 人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。 わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」 こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。 すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。 マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。 しかし、中には、ファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを告げる者もいた。ヨハネによる福音書 11:1-46 新共同訳
イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。マタイによる福音書 4:23 新共同訳
[20]
一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。ローマの信徒への手紙 5:19 新共同訳
キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。 そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、ヘブライ人への手紙 5:8-9 新共同訳
主なる神はわたしの耳を開かれた。 わたしは逆らわず、退かなかった。イザヤ書 50:5 新共同訳
それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。 「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、 むしろ、わたしのために 体を備えてくださいました。 あなたは、焼き尽くす献げ物や 罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。 そこで、わたしは言いました。 『御覧ください。わたしは来ました。 聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、 神よ、御心を行うために。』」ヘブライ人への手紙 10:5-7 新共同訳
メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」ルカによる福音書 24:26 新共同訳
言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。ルカによる福音書 24:46 新共同訳
しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。使徒言行録 3:18 新共同訳
つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。」使徒言行録 26:23 新共同訳
イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。 言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」 そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。マタイによる福音書 17:11-13 新共同訳
[21]
これを知り、目覚めよ。 エルサレム復興と再建についての 御言葉が出されてから 油注がれた君の到来まで 七週あり、また、六十二週あって 危機のうちに広場と堀は再建される。 その六十二週のあと油注がれた者は 不当に断たれ 都と聖所は 次に来る指導者の民によって荒らされる。 その終わりには洪水があり 終わりまで戦いが続き 荒廃は避けられない。ダニエル書 9:25-26 新共同訳
わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。 そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。イザヤ書 53:6 新共同訳
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ 彼は自らを償いの献げ物とした。 彼は、子孫が末永く続くのを見る。 主の望まれることは 彼の手によって成し遂げられる。イザヤ書 53:10 新共同訳
打とうとする者には背中をまかせ ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。 顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。イザヤ書 50:6 新共同訳
彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。イザヤ書 53:5 新共同訳
犬どもがわたしを取り囲み さいなむ者が群がってわたしを囲み 獅子のようにわたしの手足を砕く。 骨が数えられる程になったわたしのからだを 彼らはさらしものにして眺め わたしの着物を分け 衣を取ろうとしてくじを引く。詩編 22:17-19 新共同訳
わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。ゼカリヤ書 12:10 新共同訳
彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。 わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。イザヤ書 53:11 新共同訳
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし 彼は戦利品としておびただしい人を受ける。 彼が自らをなげうち、死んで 罪人のひとりに数えられたからだ。 多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのは この人であった。イザヤ書 53:12 新共同訳
肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。コロサイの信徒への手紙 2:13-14 新共同訳
罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。コリントの信徒への手紙二 5:21 新共同訳
[22]
そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。ローマの信徒への手紙 5:18 新共同訳
百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。ルカによる福音書 23:47 新共同訳
神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。コリントの信徒への手紙一 1:30 新共同訳
イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロから、わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。ペトロの手紙二 1:1 新共同訳
わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。ヨハネの手紙一 2:1 新共同訳
[23]
こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。ヘブライ人への手紙 9:22 新共同訳
「この方は、罪を犯したことがなく、 その口には偽りがなかった。」ペトロの手紙一 2:22 新共同訳
彼は不法を働かず その口に偽りもなかったのに その墓は神に逆らう者と共にされ 富める者と共に葬られた。イザヤ書 53:9 新共同訳
罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。コリントの信徒への手紙二 5:21 新共同訳
さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。ヘブライ人への手紙 4:14-15 新共同訳
そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。ローマの信徒への手紙 5:18-19 新共同訳
[24]
いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。 もしできたとするなら、礼拝する者たちは一度清められた者として、もはや罪の自覚がなくなるはずですから、いけにえを献げることは中止されたはずではありませんか。 ところが実際は、これらのいけにえによって年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。 雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。ヘブライ人への手紙 10:1-4 新共同訳
こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。ヘブライ人への手紙 9:22 新共同訳
なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、 まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。ヘブライ人への手紙 9:13-14 新共同訳
[25]
アブラハムは答えた。 「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。創世記 22:8 新共同訳
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。ヨハネによる福音書 1:29 新共同訳
そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。ヨハネによる福音書 1:36 新共同訳
また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。 知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、 きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。ペトロの手紙一 1:17-19 新共同訳
[26]
キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。ローマの信徒への手紙 6:10 新共同訳
この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。ヘブライ人への手紙 7:27 新共同訳
雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。ヘブライ人への手紙 9:12 新共同訳
この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。ヘブライ人への手紙 10:10 新共同訳
[27]
罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。コリントの信徒への手紙二 5:21 新共同訳
それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。ヘブライ人への手紙 13:12 新共同訳
雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。ヘブライ人への手紙 9:12 新共同訳
どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。使徒言行録 20:28 新共同訳
わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。エフェソの信徒への手紙 1:7 新共同訳
わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。コロサイの信徒への手紙 1:14 新共同訳
知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、 きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。ペトロの手紙一 1:18-19 新共同訳
しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。 罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。ヨハネの手紙一 1:7-10 新共同訳
[28]
最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。コリントの信徒への手紙一 15:3-6 新共同訳
イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。使徒言行録 1:3 新共同訳
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」ヨハネによる福音書 20:24-29 新共同訳
キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。ローマの信徒への手紙 14:9 新共同訳
その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。コリントの信徒への手紙二 5:15 新共同訳
[29]
だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。ローマの信徒への手紙 8:34 新共同訳
しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、ヘブライ人への手紙 10:12 新共同訳
信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。ヘブライ人への手紙 12:2 新共同訳
[30]
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。マタイによる福音書 28:18 新共同訳
神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、使徒言行録 10:36 新共同訳
[31]
見よ、その方が雲に乗って来られる。 すべての人の目が彼を仰ぎ見る、 ことに、彼を突き刺した者どもは。 地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。 然り、アーメン。ヨハネの黙示録 1:7 新共同訳
[32]
そして、わたしは天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。 その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠があった。この方には、自分のほかはだれも知らない名が記されていた。 また、血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれた。 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。 この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。この方はぶどう酒の搾り桶を踏むが、これには全能者である神の激しい怒りが込められている。 この方の衣と腿のあたりには、「王の王、主の主」という名が記されていた。ヨハネの黙示録 19:11-16 新共同訳
この者どもは小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める。」ヨハネの黙示録 17:14 新共同訳
あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、申命記 10:17 新共同訳
わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。 神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、テモテへの手紙一 6:14-15 新共同訳
[33]
この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。 キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです。ペトロの手紙一 3:21-22 新共同訳
ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。 わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、ヨハネの黙示録 1:4-5 新共同訳
このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。フィリピの信徒への手紙 2:9-11 新共同訳
[34]
お前たちのうちにいるであろうか 主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。 闇の中を歩くときも、光のないときも 主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。イザヤ書 50:10 新共同訳
子に口づけせよ 主の憤りを招き、道を失うことのないように。 主の怒りはまたたくまに燃え上がる。 いかに幸いなことか 主を避けどころとする人はすべて。詩編 2:12 新共同訳