人生は一度きり

人生は一度きり

人生は一度きり」と言う人がいます。そう、だからこそ、地上での生活の中で、今、神様を知ることが大切なのです!

永遠の存在

確かに私たちはこの地上で一度しか生きられませんが、:この人生の後には裁かれます[1]。人間は永遠の存在であり、この世の後も神と共に永遠に生きるのか…そうでないのか[2]。

この世の後には裁きが来る[1]ので、こんな質問が出てきます:

どのようにして神の前で正しい、無実の、純粋な立場に立つのか?[3]

恐ろしくも正直な答えは、「できなかった」です。誰でも人生に欠点のない人はいません[4]。聖なる完璧な神の目には、小さな過ちや罪でさえも私たちを不浄にしているのです。神を無視し、信じないことが一番の問題であるとさえ言えます[5]。その結果、人生で間違ったことをしたために、天国を逃し、ひどい場所で永遠に過ごすことになり、目の前に神がいない悲惨な未来しか見えなくなってしまうのです[6]…

怖いもの見たさ?

…ストップ!待つ!!…

怖いと思っている方、苦手だと思っている方…読み進めてください!希望と良いニュースがあります。脱出の可能性を秘めたお方についてはこちら[7]!

[1]

また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、ヘブライ人への手紙 9:27 新共同訳

主は裁きのために御座を固く据え とこしえに御座に着いておられる。 御自ら世界を正しく治め 国々の民を公平に裁かれる。詩編 9:8-9 新共同訳

主を迎えて。 主は来られる、地を裁くために来られる。 主は世界を正しく裁き 真実をもって諸国の民を裁かれる。詩編 96:13 新共同訳

主を迎えて。 主は来られる、地を裁くために。 主は世界を正しく裁き 諸国の民を公平に裁かれる。詩編 98:9 新共同訳

わたしはまた、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方とを見た。天も地も、その御前から逃げて行き、行方が分からなくなった。 わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。ヨハネの黙示録 20:11-12 新共同訳

心のまっすぐな人を救う方 神はわたしの盾。詩編 7:11 新共同訳

また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき、神はこの報いを実現なさいます。 主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。 彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう。 かの日、主が来られるとき、主は御自分の聖なる者たちの間であがめられ、また、すべて信じる者たちの間でほめたたえられるのです。それは、あなたがたがわたしたちのもたらした証しを信じたからです。テサロニケの信徒への手紙二 1:7-10 新共同訳

また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。 すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。ヨハネによる福音書 5:22-23 新共同訳

それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」使徒言行録 17:31 新共同訳

[2]

多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。 ある者は永遠の生命に入り ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。ダニエル書 12:2 新共同訳

体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。マタイによる福音書 10:28 新共同訳

だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。ルカによる福音書 12:5 新共同訳

主が現れて裁きをされるとき 逆らう者は 自分の手が仕掛けた罠にかかり 〔ヒガヨン・セラ 神に逆らう者、神を忘れる者 異邦の民はことごとく、陰府に退く。詩編 9:17-18 新共同訳

それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。マタイによる福音書 25:41 新共同訳

こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」マタイによる福音書 25:46 新共同訳

死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。ヨハネの黙示録 20:14-15 新共同訳

外に出る人々は、わたしに背いた者らの死体を見る。 蛆は絶えず、彼らを焼く火は消えることがない。 すべての肉なる者にとって彼らは憎悪の的となる。イザヤ書 66:24 新共同訳

[3]

「人が神より正しくありえようか。 造り主より清くありえようか。ヨブ記 4:17 新共同訳

[4]

善のみ行って罪を犯さないような人間は この地上にはいない。コヘレトの言葉 7:20 新共同訳

あなたに背いたことをわたしは知っています。 わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。詩編 51:5 新共同訳

わたしの方が正しくても、答えることはできず わたしを裁く方に憐れみを乞うだけだ。ヨブ記 9:15 新共同訳

「人が神に知識を授けえようか。 彼は高きにいまし、裁きを行われる」と言う。ヨブ記 21:22 新共同訳

[5]

御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。ヨハネによる福音書 3:18 新共同訳

[6]

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」マタイによる福音書 7:13-14 新共同訳

外に出る人々は、わたしに背いた者らの死体を見る。 蛆は絶えず、彼らを焼く火は消えることがない。 すべての肉なる者にとって彼らは憎悪の的となる。イザヤ書 66:24 新共同訳

十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。コリントの信徒への手紙一 1:18 新共同訳

わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われているのです。 この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。コリントの信徒への手紙二 4:3-4 新共同訳

ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。ペトロの手紙二 3:9 新共同訳

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネによる福音書 3:16 新共同訳

[7]

はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。ヨハネによる福音書 5:24 新共同訳

そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、 イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」ヨハネによる福音書 6:28-29 新共同訳

わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。 わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」ヨハネによる福音書 6:39-40 新共同訳